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【小説】

小説「渚の処方箋」1話⑤

第五回:渚の境界線 ​鼻腔の奥に劇薬が侵入した瞬間、真壁は、自分の足元にあるはずの「現在」という床が消失したのを感じた。 ​吸い込んだのは、単なる香りではなかった。それは意識の深層に突き刺さる重い楔(くさび)だった。アトリエ渚の、あの無機質な…

小説「渚の処方箋」1話④

第四回:志乃の処方箋 ​志乃が手に取ったのは、ガラス製の細い攪拌棒だった。書き換えられ、黒いインクで汚れた処方箋。その処方箋を見つめながら、既に彼女の感覚は完全に指先へと転移していた。 ​動きには一切の淀みがない。ライブラリーの中から、重厚な…

小説「渚の調香師」1話③

第三回:記憶の部品 その写真は、真壁の指先の熱を吸い取っていくかのように冷たかった。自室の机に置かれた「結衣」の姿。五年前、光の中に溶けかけていた彼女の輪郭は、アトリエ渚で嗅いだあの匂い――古い紙束と、乾ききった潮風の記憶――と重なった瞬間、暴…

小説「渚の処方箋」1話②

第二回:言語化する傍観者 二度目にアトリエ渚を訪れたとき、真壁の足取りは前回よりも重かった。蔵前の路地に入ると、肌に纏わりつく湿度が、まるで記憶の澱のように重く感じられる。一度自覚してしまった「空白」は、埋めようとすればするほど、その縁から…

小説「渚の処方箋」1話①

第一回:境界の潮目 アトリエ渚は、蔵前にあった。隅田川沿いの通りから一本入った路地。川そのものは直接見えないが、空気の重さと風の巡り方で、水面が近いことは肌が知っている。潮の満ち引きに呼応するように、街の湿度は刻一刻と形を変えていた。真壁は…

​Captain D’s Fragrance Fragment:名もなき渚にて​

数少ない友人の中に一人の調香師がいる。 ​蔵前の古いビルにアトリエを構えるその女性は、花々の芳香を愛でるようなロマンチストではない。彼女は、人の脳裏に焼き付いた感情を化学式へと分解し、再構築する「記憶の外科医」に近い。 ​私たちが初めて出会っ…