
数少ない友人の中に一人の調香師がいる。
蔵前の古いビルにアトリエを構えるその女性は、花々の芳香を愛でるようなロマンチストではない。彼女は、人の脳裏に焼き付いた感情を化学式へと分解し、再構築する「記憶の外科医」に近い。
私たちが初めて出会ったのは、かれこれ数年前になる。言葉ですら表現しきれない「ある喪失感」の輪郭を私が探していたとき、偶然出会った彼女は、それをたった一本の「記憶の部品」で、私の鼻腔の奥に突きつけてみせた。そのとき私は、彼女という存在に、あるいは彼女の持つ圧倒的な「真実」に対する誠実さに、ある種の敗北と、それ以上の深い敬意を抱いた。
以来、私はときおりこのアトリエの止まった空気の中に身を置くようになった。
香水とは、いわば「魂に纏うドレス」だ。
愛おしい記憶をパウダリーなベールで包み、勇気が必要な朝には凛としたシトラスを纏う。調香師が紡ぐ香りは、人生という舞台を彩る至高の演出であり、私はその光を誰よりも愛している。
だが、蔵前の静かな路地裏のアトリエは、その魔法とは一線を画す場所。
そこにあるのは、夢を売る調香ではない。
水底のような静謐さに満ちたその空間で、彼女はただ、一滴の妥協もなく「事実」だけを抽出する。
先日、私はそこで一人の男が剥き出しの自分と対面する瞬間を共にした。彼女が差し出したのは、彼を飾る香料ではなく、彼の存在そのものを形作る逃れようのない輪郭だった。
世の香水が明日を生きるための「希望」であるなら、彼女のそれは、己を直視するための「真実」という名の劇薬だ。
私はこれからも、この「渚」に打ち上げられる事象を、私の言葉で記録し続けようと思う。



