3「転調のレイヤリング」 アトリエの空気は、すでに飽和状態にあった。 志乃が冷徹な手つきで滴下したそれは、トップノートの輝かしいシトラスの底で、圧倒的な密度を持って目覚めようとしていた。 ベルガモットの瞬発的な輝きを、物理的な限界を超えて…
1「フィルター越しの夕闇」 まだ梅雨開け前の七月の隅田川は、夕闇が降りる頃になると特有の重い湿気を孕む。川底の泥の匂いと、潮の満ち引きが運ぶ塩気、そして蔵前の街に点在する古い倉庫の埃っぽさが混ざり合い、生ぬるい風となって肌にまとわりつく…
KILIAN PARIS Her Majesty(2026年) 調香師:キャロリーヌ・デュミュール おすすめ度:★★★★☆ 公式HPより 「ハー マジェスティ(Her Majesty)」とは「女王陛下」の意で、最高位の女性君主を指す公式な敬称。最初にこの名前を聞いたとき、当然、なぜキリアン…
LE LABO OSMANTHUS 19 (2024年) 調香師:不明 おすすめ度:★☆☆☆☆ 公式HPより オスマンサス19はシティエクスクルーシブシリーズの18作品目、京都限定の香り。日本ではガイアック10(東京)に続く、2番目の香り。 この香りのコンセプトについて、公式HPには…
私の目の前には『 Vertu de la Boue (泥の徳)』という名の一本の香水瓶がある。香水と呼ぶには多少の違和感があり、とある美しいブランドディレクターの精神を容赦なく解剖した、冷徹なメスというべきか。 世の中の香水が今日を生きるための「希望のドレ…
4「爪の中の窯元」 アトリエのクリーンな空気の中で、その黒く染まった紙片だけが、異物のように生々しく存在していた。 Keikoは震える指先で、志乃の手からムエットを受け取った。その短い爪の隙間を、彼女はまだ無意識に、肉に食い込むほど強く擦り合わ…
1「無菌室のデザイナー」 六月の隅田川は、早くも夏の匂いを孕んでいる。川面から吹き上がる風には、湿った川床の匂いと、アスファルトが熱せられる特有の埃っぽさが混ざり合っていた。 蔵前の、古びた雑居ビルの急な階段を上る。重い鉄の扉を開けた瞬間…
LOUIS VUITTON eLVes(2025年) 調香師:ジャック・キャヴァリエ おすすめ度:★★★★★ 公式HPより あくまで一香水マニアの私見ではあるが、ルイヴィトンの「eLVes(エル)」はここ十年のNo.1フレグランスだと思っている。 何よりもエルは、長いフレグランス史…
GUERLAIN SHALIMAR MILLÉSIME ROSE(2026年 限定品) 調香師:デルフィーヌ・ジェルク おすすめ度:★★★★☆ 公式HPより シャリマーとゲルリナーデを融合させたミレジムシリーズ。 ヴァニラ(2021年)、トンカビーン(2022年)、アイリス(2023年)、ジャスミン…
FREDERIC MALLE EN PASSANT(2000年) 調香師:オリビア・ジャコベッティ おすすめ度:★★★★☆ 公式HPより 近年、注目のライラック。 そんなライラックの香りの中でも、発売から四半世紀を迎えた「アンパッサン」は、もはや古典的存在といえるかもしれない。ま…
4「志乃の処方箋」 志乃が手に取ったのは、ガラス製の細い攪拌棒だった。書き換えられ、黒いインクで汚れた処方箋。その処方箋を見つめながら、既に彼女の感覚は完全に指先へと転移していた。 動きには一切の淀みがない。ライブラリーの中から、重厚な遮…
CHANEL N゚5 オードゥ トワレット(2026年)※オリジナルは1924年 調香師:オリビエ・ポルジュ おすすめ度:★★★★☆ 公式HPより N°5 オードゥ トワレット(以下EDT)が新しく生まれ変わると聞いて、「何を今さら」などとは全く思わず、逆にシャネルらしいなと納…
1「境界の潮目」 アトリエ渚は、蔵前にあった。隅田川沿いの通りから一本入った路地。川そのものは直接見えないが、空気の重さと風の巡り方で、水面が近いことは肌が知っている。潮の満ち引きに呼応するように、街の湿度は刻一刻と形を変えていた。真壁は蔵…
数少ない友人の中に一人の調香師がいる。 蔵前の古いビルにアトリエを構えるその女性は、花々の芳香を愛でるようなロマンチストではない。彼女は、人の脳裏に焼き付いた感情を化学式へと分解し、再構築する「記憶の外科医」に近い。 私たちが初めて出会っ…



