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ココ・シャネルをめぐる7つの香り

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画像:公式HPより

 

はじめに

以前にアットコスメでフレグランスの番付表を書いたことがある。

その時、シャネルを番付最上位の東横綱としたが、この気持ちは今でも、そして、おそらくこれからも変わることがない。

それはシャネルが約100年にも長きにわたり、常にフレグランス界を牽引してきた、正真正銘のナンバーワンブランドで、フレグランス=シャネルといっても言い過ぎではないと思っているから。

 

ところが、客観的にシャネルのフレグランスを眺めてみると、その世界観はかなり異質であることに気づく。

それは良くも悪くも創業者のガブリエル・シャネルにまつまる世界観に統一されている。

新しい作品を見ても、例えばレ ゾー ドゥ シャネルのパリ エディンバラ(2021年)では、「ガブリエル シャネルが愛したスコットランドのカントリーサイドからインスピレーションを得て誕生したフレグランス」とあり、またル リオン ドゥ シャネル(2021年)では「獅子座のもとに生まれたガブリエル シャネルにとってライオンはシンボル。情熱的な輝きを放つライオンを彼女はお守りように生涯愛しました」としている。

 

ガブリエル・シャネル(通称ココ・シャネル)をシャネルのシンボルとしていながら、実はココ・シャネルの呪縛から逃れられなくなっているのではと考えてしまう。

メンズを除くフレグランスを見渡してみると、ココ・シャネルに関連したテーマの香りばかり。そのなかでも特にココ・シャネルらしい香りを独断と偏見で7作品選んでみることにした。

 

ココ

シャネルがココ・シャネルにまつわる香りに傾倒していったのは、このココ(1984年)の成功が大きかったのではと考えている。そしてその後、ココマドモアゼル(2001年)も成功し、さらに拍車をかけるようになったのではと。

3代目専属調香師となったジャック・ポルジュが最初に創作したレディース作品がココであり、ココ・シャネルの精神をはっきりと投影させた香りだと思う。創作するにあたり、パリのカンボン通りにあるココ・シャネルのアパルトマンに訪れ、その時に感じたインスピレーションをココという香りに託している。

ココの香りは、攻撃的なスパイシー、官能的なフローラルの華やかさと鋭い棘感、アニマリックなアンバーの深み、そして柔らかいオリエンタルが混在した、複雑で目まぐるしく香りが変化する、エネルギッシュな香り。

イギリスの文学者バーナード・ショーは「二十世紀最大の女はキュリー夫人とシャネルである」と述べている。女性の生き方革命を成し遂げたバイタリティー、潔癖さや嫌悪の精神。さらに、無駄をそぎ落としたシンプルなスタイルとバロックスタイルの内包。

ココをかぐたびに、ココ・シャネルが手がけたどの作品よりも彼女らしいのではと感じてならない。

 

ガブリエル

ガブリエル・シャネルは、1883年8月19日にソーミュールに誕生した。

ガブリエル(2017年)はシャネルを創設する前の、ガブリエルという一人の女性からインスピレーションを得て誕生したフレグランスとしている。そのため、ココのよう美への飽くなき追求や、バイタリティ、潔癖さ、凄まじいまでの嫌悪の精神は見ることができない。

それでも、自家栽培されたチュベローズが初めて使用された、この美しいフローラルブーケの香りは、爽やかさや若々しさに溢れていて、未来、夢、可能性などポジティブなオーラに溢れている。

そして強い個性ではなく、嗜好性に重きを置いた香り。使い込んでいくうちにフローラル素材の確かさを味わいながらも、やはり名前負けしているなと感じてしまう。

 

N°5

フレグランス界の女王N°5(1921年)。2021年は、N°5が発売されてから100周年の年だった。N°5が凄いのは、100年経った香りが今でも現役であり、今でも売れ続けている事実にある。

100年もの間、多くの女性をさらには男性をも魅了し続ける香り。そしておそらくこれから100年経っても、変わることなく愛され、語り続けられるのだろう。

N°5にはココ・シャネルの「女性の香りのする、女性のための香り」という願いが込められている。初代専属調香師エルネスト・ボーが、当時の常識を超える抽象的な調香により、その願いに応えた香り

シャネルは女性用の帽子店として1910年に創業。1921年に本店をカンボン通り31番地に移転し、初のフレグランスとしてN°5を5月5日に発表した。

そして現在、N°5には5つの香りがある(パルファム、オードゥパルファム、オードゥトワレット、オー プルミエール、ロー)。

画像:公式HP

 

尚、ココ・シャネルとエルネスト・ボーが手掛けた作品として、現在でもレ ゼクスクルジフ ドゥ シャネルとして、N°22(1922年)、キュイール ドゥ ルシー(1924年)、ガーデニア(1925年)、ボワ デ ジル(1926年)が残されており、今年はN°22が100周年を迎える。

 

ボーイ

シャネルは恋多き女性だった。そんなシャネルが26歳の時に出会ったアーサー・カペルこそ、生涯で最も愛した男性だったと言われている。

そして、シャネルのロゴは、ガブリエル・シャネルの「C」とアーサー・カペルの「C」を背中合わせに組み合わせたとされる。

ボーイ(2016年)は、そんなシャネルの最愛の恋人アーサー・カペルをイメージした、フゼア・シプレ・ウッディの香り。

そして、ボーイの香りは、シャネルのロゴと同じように男性らしさと女性らしさが肌の上で、それぞれの個性を感じながら、重なり合うフレグランス。

前半は気品のあるアロマティック・フゼアの香り。そこからホワイトフローラルを中心としたフローラルシプレの香りに移り変わっていく。この重なり合う瞬間こそがボーイのクライマックスでもあり、洗練された素晴らしい香りだと思う。

アーサー・カペルはシャネルに多大な影響を与えた。そして白い花を好み、シャネルに贈っていたとのこと。しかし1919年12月21日、シャネルに逢いに行く途中で自動車事故により死亡した。

 

1932

ココ・シャネルの人生は、挑戦と革命の歴史だと思う。

1932年、シャネルはハイジュエリーコレクション「ダイヤモンド ジュエリー」を発表し、低迷していたジュエリー業界を刺激し、大きな話題となっただけでなく、シャネルのクリエイションによって、それ以前のものがいかに時代遅れなものかを改めて示した出来事だったとのこと(公式HPより抜粋)。

1932(2012年)はそんなコレクションをイメージした香り。

星の数ほど多くのジュエリーが存在しているのと同じように、1932の骨格はよくあるペアジャスミンの香り。それが調香の技により、「ダイヤモンドの星座」として見事に生まれ変わっている。

ジャスミンに、シャネルらしいアルデヒドと官能的なイランイランを織り交ぜ、アイリスで丸みや厚みを持たせる。その分厚いフローラルを、ペアのみずみずしさやグレープフルーツの爽やかさで覆うことで、まるでダイアモンドの輝きのように仕立てられている。

 

N°19

N°19(1970年)は、ココ・シャネルが最後に発表したフレグランスで、N°19を発表した数週間後の1971年に彼女は永眠した。N°19とは、彼女の誕生日1883年8月19日から名づけられている。

調香師はシャネルの2代目調香師のアンリ・ロベール。

ココ・シャネルはアンリ・ロベールに「比類ない個性を放つ香りを新たにつくること」を求めた。

N°19からは、N°5にような女性らしさは感じられない。ビジネスウーマンではなく、ビジネスに徹してきたシャネルに相応しい、強さ、自立、そして孤独が伝わってくる。

シャネルの精神が宿ったN°19は、N°5のような女性らしい姿は見えず、性別や流行などにとらわれない、気高く孤高な香りだと思う。

 

プール ムッシュウ

画像:公式HP

プールムッシュウ(1955年)はココ・シャネルが唯一発表したメンズフレグランス。調香師はアンリ・ロベール。

スプレーした瞬間、透き通るようなレモンやベルガモットの美しさに心を奪われる。そこからアロマティック感と、スモーキーなベチバーが重なり合うように香り立ち、やがてオークモスを効かせた、柔らかくも洗練されたシプレに落ち着いていく。

男性らしい色気や野心が抑えられた、気品や知性が伝わってくる香りで、店頭で触れるたびに、私にはまだ早いと感じてしまう。それくらいにエレガントな趣きが強い。

ディオールのオーソバージュ(1966年)と比較されるが、オーソバージュの方が男らしい熱気を感じるため、逆に使いやすいと思えてくる。

ではなぜシャネルはこのプールムッシュウを、唯一のメンズフレグランスとして発表したのだろうか。

プールプッシュウの香りは、どこまでも上品で控えめで穏やかだ。随所に森林のようなハーバルノートが鼻に優しい。

「私の愛する人は、私の意欲にけっして水をさしたりしない人だった」(山口路子「ココ・シャネルの言葉より」)

自由と独立を求めていたシャネル。

このプールムッシュウのように、後ろを振り向けばそっと微笑んでくれるような、静かで自信に満ちた男性を求めていたのかもしれない。